むしろ結婚相手を「見つけにくく」している、婚活市場の「構造的な欠陥」

婚活女性としても、これから出会う男性が好むファッションの傾向や特殊性を事前に知ることは不可能なわけですから、モノ化された男性像を前提に容姿を磨くしか無いわけです。もちろん、男性側がそんな女性側の努力を、「みんな同じようなファッションとメイクだなぁ、普段はどんな格好しているのだろう?」と見透かしているところまで同様です。

婚活が「困難なもの」になっている理由

勘違いしてはならないのは、私達が婚活市場で活動していくために、「モノ化」は必要不可欠なものであるということです。職場や学校、サークルといった長期的な人間関係を前提とした出会いでは、互いの趣味趣向を学び、受け入れていく時間があります。

しかし婚活市場とは、決まった指標のもとで人々をデータベース化していくことで、既存の関係の延長線上では出会うことがない男女に、しがらみのない形で出会う機会を与えてくれる場です。ここではお互いの趣味趣向を事前に学び、受け入れるという関係性が存在しません。

だから、少しでも出会いの成就、つまり恋愛関係の成立とその先の結婚の可能性をあげていくため、「こうすれば選んでもらえる」と自分に言い聞かせる際に、「モノ化」された男性像/女性像が必要になるわけです。

私個人としては、互いの趣向を学び受け入れていくことが「愛」だと思いますが、「モノ化」された男性像/女性像を前提とした婚活戦略では、その像からの些細な違いを学び受け入れる=愛が発生する前に、「想定通りの結果が得られないエラー」として切り捨てて、好ましい反応をしてくれる人を探し続ける方が効率的になります。これが、婚活の困難を生み出しているのかもしれません。

理想の配偶者を求めること自体は、批判される筋合いのない個人の自由だと思います。同時に、婚活市場という仕組みが、「理想の配偶者」を求める男女の全力の努力を逆説的な結果に導いているのであれば、婚活支援サービスのありかたそのものを再設計していく時期に入っているのではないでしょうか。

引用元:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/94610

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