婚活女子と東大女子の砂漠~厄介な「自己“肯定感”」と「自己“愛”」について

1.婚活ミナミさんの場合

「婚活」という言葉は、就活ほどポピュラーではないものの、妊活や朝活という最近の「活」がつく言葉の中では最も定着したものの1つだろう。

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<ネットでバズった「婚活ミナミさん」に起きたこと>という記事を食い入るように読んでしまった。ミナミさん(仮名)は「マリーミー」という結婚相談所を運営する植草美幸先生のカウンセリングを受ける女性として、とあるテレビ番組に顔出しで取り上げられた。

植草先生から、資産家だという年上の長谷川さん(仮名)を紹介されたミナミさんは、彼との間で“真剣交際”に発展する。これは、それまで複数いた婚活デートのお相手を、互いに1人に絞ることを指すそうだ。当然、婚約に向けて助走に入っているわけだが、ゴールの前に落とし穴が待ち受けていた。デート中に具合を悪くしたミナミさんは「だいじょうぶですか? 僕もパニックになることがありますよ」という長谷川さんの言葉から、「彼はパニック障害だったのにそれを隠していた」と曲解し、メールで植草先生を罵倒したのだ。

この顛末は、視聴者の心に強烈な刻印を残し、当然のことながらネットは荒れに荒れた。ついには、あの東野幸治さんがラジオ番組の中で「年イチで引っ張りますよ」と太鼓判を押すに至る。東野さんほどテレビをよく知った人が、1月の放送を見た時点で「もう今年はこれ以上の逸材は出てこない」と思ったのだから、すごいインパクトだ。

個人的には彼女に同情する。テレビは人の一面を切り取って拡張する。植草先生の記事を読む限り、幼いころから特異なほどに過敏だった少女は、相手の服装とか動作とか細部がいちいち気になって仕方がない。だが、過敏さと同じ濃度の臆病さを持つミナミさんは、違和感や不快感を表出する術を持ち合わせないまま、ただひたすらにため込む。そして、それが一定量になるとマグマとして噴出するタイプなのだろう。

だが、他人の一面を不当に拡張するテレビといえども、その人の中に欠片もない何かを創作できたりはしない。私たちはミナミさんのどこにこれほど引っ掛かったのだろう?

2.『傲慢と善良』の真実の場合

辻村深月氏の『傲慢と善良』(朝日新聞出版、2019年)は、私がミナミさんに感じたざらっとしたものの正体を、ものの見事に言い当てる。

行方不明になった婚約者・坂庭真実を探す西澤架の話のテーマは、読み進めていくうちにミステリーではなく、「婚活」の話だと分かる。

そして、群馬県出身の真実は美人で奥手。何事も母の意のままに育ってきたが、自分から彼氏を探しにいく積極性には欠ける。このままでは婚期を逃すと心配した母は、学歴に目をつけて、地元の結婚相談所で金居智明という男性を選んでくる。親のお眼鏡にかなった金居は性格も申し分のない“好条件”の男だ。

ところが、地元のモールで金居とデートしていた真実は、密かにコンプレックスを抱いてきた幼馴染と偶然再会する。洗練された雰囲気の彼女は、群馬を離れて東京で活躍しているが、出産を機に里帰りしていたのだった。横にいる金居について、彼女から「恋人?」と問われ、「いや、ちょっと……」と言葉を濁した真実は、そのときに悟るのだ。金居の見た目、その着古したシャツやダサいキャップ。彼は、幼馴染に自慢できるイケてる夫にはならないだろう。真実は金居との交際を断る。

そんな真実は東京に出て婚活を継続し、マッチングアプリで架と出会う。東京の私大を卒業した架は、父から引き継いだ輸入ビール会社の社長で、女性の扱いにも慣れ、美味しいお店もよく知っており、物腰もスマートだ。つまり、イケてる。当然、モテる。この人ならば満点の結婚相手と気負ったのも束の間、意地の悪い彼の女友達から、真実にとっての金居がある種の妥協だったのと同様に、架にとっての真実も“70点の相手”だと告げられる。

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20代の終わりから付き合っていた当時の彼女との結婚に踏み切れなかった架は、自分のもとを去っていった満点の相手と真実を比べていた。

学歴も性格も申し分ない金居を、真実は自分に釣り合う相手とはみなさなかった。逆に、自らにふさわしいと見積もった架について、周囲からは「高望み」と評された。

そこで、辻村氏は婚活に失敗し続ける女性たちの本質をものの見事に言い当てる。

「自己肯定感が低いという彼女たちは、一様に自己愛が高いのだ」と。

婚活というのは、自分の価値の見積もりと相手の価値の評価を合致させる場所だ。そこは、結婚というモノサシで人を量り売りする露骨な市場である。この市場に身を置いた瞬間、すべての男女は値札をつけて、店先に陳列される。

そして、婚活に失敗する女性たちは、往々にして「こんな高学歴のお相手はもったいなくて……」とへりくだるように見えながら、実は、ファッションやコミュニケーション能力などを理由に、この人はモテそうにない、そんな彼の価値は私の値札にふさわしくないと見積もっているのだと、辻村氏は語りかける。一見、謙虚で“善良”な彼女たちを一皮むけば、自らに高い値札をつける“傲慢”さが顔をのぞかせる。そして、それは親も同じだ。

「あそこのお家は自営業だから。それに比べて、うちはきちんとした公務員だから」

自分の得意分野に殊更に執着し、そのモノサシで相手をこきおろす。相手のよさを認めるよりも、自分の優位を確認することで小さなプライドに凝り固まり、婚活女子たちは、いや男子もか、市場の波の中をさまよっていく。

婚活というのは、どうやら自分の主観評価を客観評価と一致させることらしいのだ。つまり、これは相手を見極める以上に、自分の真価に向き合う作業だ。婚活のカリスマと呼ばれる植草先生のようなカウンセラーは、おそらく相手を紹介する能力が高いというよりは、「あなたにはあなたが思っているほどの価値はない」と妥協させる力が強いのだろう。

そして、自らの値付けを残酷に突きつけられるがゆえに、婚活は身を削られるほどに苦しいのだ。

3.再び、婚活ミナミさんの場合

そして、この『傲慢と善良』を下敷きにすると、ミナミさんがなぜ視聴者を惹きつけたのかも理解できる。

確かに、ミナミさんは自己肯定感が低い。

「法学部を卒業したのに、なぜ手取り13万円で飲食業界で働いているの?」と、お相手から問われて、バカにされてるように感じて涙を流す。

一方で、1回り年上の長谷川さんとの結婚について「あなたは騙されている。資産家なんてあなたが使用人にされる」という趣旨で反対する母に、「貧乏はしたくないでしょ?」と言い返す一面もある。

小学校から私立に通って中高一貫の女子高に進学し、幼いころからバレエやバイオリンを習っていたというミナミさんの経歴は、文句なしの“お嬢様育ち”である。そして、母娘の言動からは「うちは“きちんとした”家」というプライドが、そこはかとなく垣間見えるのだ。それゆえ、「資産家のお相手なんて……」という“善良”なる謙遜の裏側には、自営業の家はうちのように“きちんとした”家とは釣り合わないという“傲慢”さがちらりとのぞく。

自己肯定感の低さと裏腹の自己愛の強さ。その歪みに私たちは惹きつけられたのではないか。

4.「東大女子」の場合

辻村氏は主観が歪んだ女性を描くのが抜群にうまい。私たちは、彼女の主観にひたっているようで、その歪みを憐れんでもいる。だが、自分を客観視できる人など、この世にいったいどれくらいいるのだろうか。

そう感じたのは秋山千佳氏の『東大女子という生き方』(文春新書、2022年)を読んだときだ。ジャーナリストの秋山氏は、東大を卒業した複数の女性たちにインタビューしながら、彼女たちの抱える悩みから社会構造の問題をあぶりだそうとする。

そして、その1人のインタビューを読んだとき、「ずっと自分は自己肯定感が低いと思っていた」と語る女性の自己愛の強さに私は辟易とした。自分が紡ぎ出すストーリーの中で、自分をヒロインに仕立て上げて、陶然としている彼女は、そう、、、何を隠そう、この私だった。

自分のインタビューを読むなんて恥ずかしい経験は可能な限り避けてきたから気づかなかった。だが、対象として客観的に眺める私自身は、辻村氏が描く小説の中の女性とおんなじ。塊のような承認欲求を抱え、滑稽なほどに主観が歪んだ女性だったのだ。

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ミナミさんも、真実も、私もおんなじだ。「自己肯定感が低い」と語る私たちは、おそらくそんな自分が大好きなのだ。こんなに一生懸命にやっているのに、こんなにきちんと生きてきたのに、それでも自分を否定してしまう私は、なんて謙虚で健気なの。小さな自己完結した世界の中に閉じこもって私たちは生きてる。自分のモノサシで他人を測り続ける。

そんな殻を打ち破りたくて、ミナミさんはテレビの顔出し取材に応じたのだろう。真実は東京に出たのだろう。そして、自分を残酷な評価の俎上に載せると決意した彼女たちを、私はもう決して笑うまいと決意する。

引用元:https://www.gentosha.jp/article/20999/

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